岐阜市平和資料室 2023 22 21

岐阜市橋本町1-10-23 ハートフルスクエアーG・2階東南角(JR岐阜駅改札から直進、飲食店街のさきに入り口)
午前9時~午後9時開館  休館日:每月最終火曜日のみ
市担当課:男女共生・生涯学習課 TEL 058-214-8666
ホームページ作成:篠崎喜樹(岐阜空襲を記録する会)TEL 090-4260-0960 
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<2023年>2023年岐阜空襲を記録する会>


企画展の展示替えをしましたー「10代の戦争体験~あの日、すべてが焼かれた~」

 

 企画展示では「10代の戦争体験~あの日、すべてが焼かれた~」として、昨年の「平和の鐘式典」で語って頂いた小古曽君子さん、
看護学生で市中を逃げ惑った川上久江さんのお二人、17才の女学生の体験を中心に、戦争の悲惨さを訴えます。
またロシアがウクライナにしている国際法に違反する空爆を紹介しました。
ご覧ください




<2022年>

平和資料室で初めて、朗読会も行いました(木田小学校)



11月21日、木田小学校3年生の子どもたちが、3年ぶりに平和資料室に来てくれました。
コロナでしばらくの間、来られなかったのです。
1時間の時間が取れたので、いろんなプログラムでお話ししました。

・平和資料室の資料を使って『岐阜空襲(ぎふくうしゅう)』のお話。
 写真では、岐阜にやってきたアメリカ軍の爆撃機(ばくげきき)、B29の模型を見てもらっています。
・戦争のころの子どもたちのお話。モンペ体験や、戦時の中学生と背比べなども。
・そして新メンバー・朝井彰子さんの、『空襲体験』や『平和の詩』の朗読。
 絵本の絵を見てもらいながら、プロのアナウンサーの語りを聞いてもらいました。

お話の後の質問タイムでは、戦争体験者でもある篠崎先生が、子どもたちに戦時のことは何でも答えてくれました。
木田小の児童さんたちは、自由見学タイムも熱心に学んで帰っていきました。(中島 裕子)








愛知県半田市から、見学にいらっしゃいました



11月2日、愛知県半田市より、「半田空襲と戦災を記録する会」と「半田九条の会」の皆さんが平和資料室を訪れました。
半田の記録する会は、当「岐阜空襲を記録する会」とも、研究会では長いお付き合いがあります。

半田市も戦時中は軍需工場が多く、米軍から激しい攻撃を受け岐阜以上の被害を受けました。
「半田にも、平和を伝える場所をつくりたい!」というのが皆さんのご希望で、
「岐阜ではどのように公設の施設をつくっていったのか?」
「行政側とどのように信頼関係をつくっていくか?」のご質問に、開設時の展示責任者でもある篠崎先生が答えました。

見学では、全国でもめずらしい戦災のガレキから発掘した戦時の市民たちの生活品の展示に注目してみえました。
半田市にも、平和の尊さを伝える施設ができるといいですね!(中島 裕子)





メリカ軍は、岐阜市の何を狙ったのか?”-展示替えを行いました-
 
  



岐阜市平和資料室、恒例の夏の展示替えをすませました。
今年度の企画展は2つ。
第1展示は、『アメリカ軍は岐阜市の何をねらったのか?』米軍の岐阜空襲の狙いが軍事施設ではなく、市民生活の破壊を目的にしたものと、米軍資料で証明したものです。
米軍資料の最新分析から、岐阜空襲の「計画」「空襲の夜」「結果の焼け跡」を、分かりやすく図解しました。
2つ目は、空襲体験絵本『芽ぶけミヤコよ』の第二話。長良川が燃えたお話です。

奥スペースの「常設展」も、数年ぶりに入れ替えてととのえました。
エントランスの折り鶴も、今年到着したものに入れ替え。子どもたちからのメッセージがたくさん届いています。
JR岐阜駅から、東に歩いて約2分と、便利な場所にあります。お近くに来た時にはぜひのぞいてください。



岩倉市から、戦争の語り部さんたちが見学に (



8月5日、岩倉市より同市の語り部さん3名と、市の職員さん2名が岐阜市を訪れました。
平和資料室と、市庁舎の「平和の鐘」を見学。(※平和資料室は写真を撮り忘れました)

岩倉市では毎年、小学校低学年児童が集まって『子ども平和教室』を市主催で行っています。
当会メンバーが毎年、「子ども向けの講師」としてお招きを受けお話ししています。
今回は新メンバーも合わせて、軽い打ち合わせとともに歓談しました。
市庁舎の「平和の鐘」と最上階の展望ルームでは、皆さん歴史好きなため、戦国談義まで盛り上がりました







元気な子どもたちが来てくれました(岐阜小学校)


5月6日、岐阜小学校3年生の子どもたちが、平和資料室に来てくれました。
2グループに分けて、平和資料室の見学と、研修室で「戦争していたころの学校や子どもたち」について学んでいきました。

3年生は国語で『ちいちゃんのかげおくり』を習います。
平和資料室では、お話に出てきた「防空壕(ぼうこくごう)」の模型(もけい)を見ることができます。
また当時の女の子の服、もんぺと防空頭巾(ぼうくうずきん)を着てみると、
「ちいちゃんだー!!」
と、みんな大喜び。
悲しい時代のお話ですが、みんな前向きに学ぶことがてきました。





地元の大切な歴史を今年も学習(加納中学校)


5月11日、今年も加納中学校の生徒さんが見学に訪れました。
5クラスあるので、コロナ対策の入場制限があるなか、4つのグループに分けて行いました。
グループごとに研修室でプロジェクターを使って「岐阜空襲」の解説をし、順番に平和資料室を見学してもらいます。

順番待ちの生徒さんたちには、研修室の後ろに展示スペースをつくり、空襲時の写真や戦時の中学生の学校生活のパネルを見てもらいました。
学校から順番に歩いて到着した生徒さんたちは、研修室でも、平和資料室でも熱心に学んでいきました。




名古屋より「戦争遺跡研究会」の会員さんが見学に



5月29日、名古屋市より「戦争遺跡研究会」の清水会長と会員の神谷さんが、平和資料室を訪れました。
「戦争遺跡研究会」は長年、名古屋・岐阜を含めた中京エリア全体の戦争遺跡・遺物を調査してみえます。
戦時中は「東海軍管区」として同じエリアで国内が統制されていたため、陸軍の配置情報にも詳しい方々です。
これまで岐阜市主催『子どもたちに伝える平和のための資料展』にも、何度も資料提供をいただいています。
パネルや戦争遺物を見学しながら、当会との歓談もはずみました。

当日は、親子で見学に来たご家族連れも。
小さな子たちですが、焼夷弾やB29の模型を目を輝かせて見ていきました。






< コロナ禍でも、岐阜市平和資料室にようこそ!2021 >

元気な子どもたちの平和講座(加納西小学校)



12月5日、加納西小学校の生徒さんたちが、歩いて平和資料室に来てくれました。コロナの規制が緩和され、入場者数が
クラス単位でもよくなった最初の見学者です。

戦争のころの子どもの生活道具やおもちゃを見たり、ちいちゃんのスタイルをしたり、元気いっぱいで勉強していきました。
当日は岐阜市担当課からも二人の職員さんが参加され、同校の先輩でもある五島さんより歓迎のあいさつもいただけました。

子どもたちは自由見学タイムでも熱心にメモを取ったり、タブレットで資料を撮影したり。
終了時間には「もっと見たい~~!!」と言いながら帰っていきました。
ここ平和資料室は、毎月最終火曜日のみお休みで、他は朝9時から夜9時まで開いています。いつでも見に来てくださいね!


(右)戦時の子どもの茶わんを見てもらっています。絵柄だけでなく、その小ささにも子どもたちはビックリ。
(左)時間待ちのクラスのために、クラフト室に子ども向けパネルを並べて見てもらいました。




東京より動画撮影のため来訪



12月4日、東京より映画監督の松村克弥さんと、その妹さんで東京都議会議員の上田玲子さんが岐阜市を訪れました。
お二人の亡父さんは大戦時、各務原の軍需工場に学徒動員され、各務原と岐阜市と、二つの空襲を経験されたそうです。
平和資料室では、二人のご家族も合わせて5人が、空襲後の遺物などを熱心に見学されました。

市街では美江寺公園と美江寺観音の戦災樹木や石塔、、そして新庁舎の「平和の鐘」を訪れました。
美江寺公園のベンチでは、戦時の体験と平和への取り組みについて上田さんと篠崎先生が語り合い、松村監督が記録として撮影していきました。
(中島:記)





8月から 新しい展示始まっています

当会が1985年、東京法令出版から発行した、岐阜空襲を子どもたちに伝える絵本『芽ぶけミヤコよ』が。
最近話題となっています。どこへ行けば入手できるかとの質問を受けますが、すでに絶版になっており、
図書館をおすすめしています・

そこで、岐阜市平和資料館の今年に企画展に、『芽ぶけミヤコよ』を取り上げ、その第一話にその後
入手した資料を付け加え、「街も家族も焼けてしまった」として展示しました。
早速、茜部小2年生の、早天野翔くん、翔哉くんの双子の兄弟とお母さんが、夏休みの一研究Ⅱ取り組むとして、
見学に来てくれました。
子どもさんいも分かりやすい展示になっています。ご覧くださ
い。

 



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