2023,22,21 事務局 岐阜市五坪1丁目3番1−404 TEL 090-4260-0960 (篠崎 喜樹)
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岐阜空襲を記録する会2020〜2016
<2023年>
「子どもたちに伝える平和のための資料展」開催されます 7月3日〜13日
今年も7月9日「平和の鐘」の日をの前後10日間、メディアコスモスで」当会制作
「子どもたちに伝える平和の資料展が開催されます。
パネル展示では「10 代の戦争体験〜あの日、すべてが焼かれた〜」として、二人の女学生の
体験を体験を中心に、戦争の悲惨さを訴えます。またロシアがウクライナにしている国際法に
違反する空爆を紹介します。
9日には3時から、浅井彰子さん(アナウンサー)と朗読サークルの子どもたちによる
「空襲体験と平和の詩朗読会」も行われます。おいでください。
「もっと戦争を知り、戦争をしない意識を!」---三輪中
6月7日、今年も三輪中三年生の平和学習に、浅井、中島、林、篠アでお手伝いにいきました。
当時の中学生の生活や意識、空襲の実態や被害を生徒さんに問いかけたり、
質問時間には戦中・戦後のくらしなど多くの質問を受けました。不自由な姿勢で
も、メモをしっかり取っていました。
焼夷弾を持ってもらったり、モンペ姿のコスプレ姿や、当時の中学生との背比べバド
参加してもらいながら理解を深めてもれいました。
「学んだことを、しっかり伝えていこう」--- 清流中
6月23日は、清流中3年生5クラスの平和学習に参加しました。冷房が使えるとのことで、
学校に隣接の日光コミュニティセンターでの計画されました。
忠節橋北詰の激しい戦火を浴びた早田、則武地域が校区であり、生徒さんたちの関心も高かったようです。
いつもの浅井、中島、林、篠ア4人がそれぞれ分担し、岐阜空襲の全容や当時の子どもたちの様子を話しました。
生徒さんの反応も良く、戦時子どもの時の楽しみな何かとか、当時の学校の様子とか、質問が続きました。
終わって市の職員の方から、「メリハリがのある素晴らしい平和講座だった」との評価をいただきました。
<2022年>
半田にも平和資料館を--視察にこられました
11月2日、「半田空襲、戦争を記録する会」から、加治田稔様始め5名の方が、平和資料室に
おいでくださいました。半田の会はこれまでも、各種つどいや平和展、戦跡巡りツアー、犠牲者追悼式など
盛んな活動を積み上げてこられましたが、平和館の建設を企画され、岐阜の様子を調査に来られたものでした。
みなさん熱心に、オープンまでの経過や、現状の説明を聞いていかれました。
「ちいちゃん」に近づいた3年生-鏡島小学校−
10月18日、中島、朝井、林、篠アで、鏡島小学校の平和学習に参加しました。
3年生の国語教材「ちいちゃんのかげ送り」に連動した総合学習として、3クラスのみなさんに
岐阜空襲やその頃の子どもたちの様子を話しました。
実物を見せたり、参加してもらったりしましたが、とても積極的に取り組んでくれ、2時間が
あっという間でした。
防空頭巾やもんぺなどを着用してもらうと早速「ちいちゃんだ!」と声が飛び、身近な話題になりました。
この夏、このような企画・行事に参加しました
鶯谷中学・高等学校文化祭に協力しました
9月2日と3日に行われた鶯谷高校の文化祭に、今年は『平和をアピールする部屋』が
作られ、こちらに岐阜市平和資料室から資料展パネルをお貸ししました。
2日、岐阜市の職員さん達と見学に行くと、部屋は生徒さんたちの元気な平和アピールでいっぱい!
生徒さん達が修学旅行に行った長崎のレポートや、調べた岐阜空襲のようすなどが
展示され、資料室からお貸ししたパネルが補足していました。
また戦時中の中高生たちの学校生活を追った、当会作成の2016年の資料展『戦時の少年少女たち』のパネルも並べられています。
この中には、戦前の同校「佐々木高等女学校」の防空訓練をする貴重な資料写真が
入っており、生徒さんたちも「初めて知りました!」と驚いていました。
お盆やすみの県立図書館で、出張資料展
8月6日から16日まで、お盆やすみの岐阜県図書館で、今年も平和資料展が行われました。
県庁医療福祉課より依頼を受け、今年はパネルに加えて、焼夷弾資料もお貸ししました。
実物資料があると、臨場感が違います。
すべてのパネルに、主催者からの解説が付き、とても丁寧な展示になっています。
この時期はファミリーの来館者が多く、小中学生に加え高校生たちも次々見学に訪れました。
西別院、実践運動研修会1 非核平和学習会」
7月9日(岐阜空襲の日)午後、研修室にて、僧侶の方を対象に、中島学芸員とで、「岐阜空襲と人びとの心」と題し岐阜空襲と
当時の寺院、神社、教会など宗教者や施設の状況などを話しました。
八月朔日早朝、心をあらたに〈本願寺岐阜別院・黎明講座〉
8月1日、本願寺岐阜別院(通称:西別院)の『黎明講座』に講師としてお招きを受けました。
、今回は寺の本堂で、檀家の皆さんへのお話しです。
岐阜空襲の解説に加えて、「戦時の人々の心」と題し、戦時に人々の心を受け止める「お寺」や「神社」「教会」がどのような道のりをたどったのか?
人々の心のよりどころは何だったのか?をお話ししました。
平和シーズンの幕開けとなる8月1日、早朝7時からの黎明講座は、荘厳な本堂で夏の盛りとは思えない涼やかな雰囲気のなか、
皆さんに耳を傾けていただきました。
おもと会「戦争体験を語り継ぐ夕べ」
8月2日 「おもと会の」(福祉ボランティアBのグループ)の恒例の「戦争体験を語る夕べ」がメディコスモスで開かれ、
お招きに答え中島学芸員と参加しました。
昨年までは中学生で参加されていた岡部君は今年は高校生、過去の戦争の歴史から現在のウクライナ・核兵器問題も取り上げ、
日本の果たす役割までも触れて話されました。高校生とは思えぬすばらしい報告から始まりました
今年の報告はいずれも90代のご3方、学徒動員や東京、一宮、彦根での空襲体験でしたが、貴重なお話をはぎれよく、
元気に語っていただけました。感想あり、ハーモニカ演奏、独唱ありといつもの多彩な内容でした。
こうした語り継ぐ活動が、全国あら結うところで行われ、77年の戦争抑止力になっているを確信しました。
おもと会さんは、この度羽田人権文化基金「人権大賞」を受賞され、その感謝の会を、9月16日岐阜市役所で催されました。
”アメリカ軍は、岐阜市の何を狙ったのか?”-展示替えを行いました-
岐阜市平和資料室では、8月より新く「広域資料から見た、空襲「計画」から「結果」まで-アメリカ軍は、岐阜市のなにを狙ったのか?」
と。「町も家も焼かれた-芽吹けミヤコより第二話」のパネル展示を始めました。
前者は、米軍の岐阜空襲の狙いが軍事施設ではなく、市民生活の破壊を目的にしたものと、米軍資料で証明したものです。
国際法で禁止されていた非戦闘員や非軍事施設への攻撃をどのように正当化したかも示しました。
77年目の岐阜空襲の日 雨のみどりの丘で
岐阜市主催の「平和の鐘」と「平和展」
ソ連の凄まじい侵攻で惨状が繰り返されているウクライナのニュースを観ると、77年前の岐阜空襲を
思い浮かべます。逃げ場のない岐阜市民が、火と煙、油にまみれ一夜で900 人からの命を、6 割の人が
住む家を失ったのです。
岐阜市はこの7月9日を「平和の鐘」の日とさだめ、市役所四階「みどりの丘」では、市長、体験者、
中学生などが集まり、昨年から新設された「平和の鐘」を鳴らし、犠牲者の追悼と平和の決意を新たにする式典が行われました。
式典には柴橋正直市長や岐阜市仏教会松久宗心会長が平和への願いを、当時17才の女子師範制だった
小木曽公子さんが体験を、篠崎が空襲の状況などを話しました。岐阜中央中学の生徒代表も出席され、「平和を願う気持ちを
接ぎ穂世代に伝えていきたい」と力強く誓いを発表されました。
市中の寺院、教会でもいっせいに鐘をつき、幟の立っている寺院では、市民も自由に鐘をつくことができます。
この時伊奈波周辺を歩くと、グワーン、ゴーン、カーンとあちらからもこちらからも大小の鐘の音が響きわたり、厳粛な気持ちになります。
また、この日を中心に7月1日から11日まで、メディアコスモスでは、「子どもたちに伝える平和のための資料展」が開催されました。
小木曽公子さん
「子どもたちに伝える平和のための資料展」開催されました 7月1日〜10日
今年は岐阜空襲を記録する会が、岐阜空襲を伝える絵本『芽ぶけミヤコよ」より第二話「長良川が燃えた」と、新たに入手した
米軍資料から「アメリカ軍は、岐阜市の何を狙ったのか」と、その「計画」、「攻撃の実際」「結果」を検証したものを
パネルで発表しました。決して「盲爆」でなかったことが分かります。新聞報道でもとりあげられました。
現在は、岐阜市平和資料室で展示されます。
平和都市岐阜市が、平和を願い行っている他にない優れた行事です。大事にしたいものです。
新図解;広域資料写真で見る、 空襲「計画」から「結果」まで
7月1日(金)〜11日(月)午後3時
みんなの森 ぎふメディアコスモス ドキドキテラス
<岐阜新聞7月3日> <>中日新聞7月2日
6月3日、三輪中学よりお招きを受け、3年生4クラスにお話ししてきました。
戦争のころ、中学生たちは…〈三輪中学校〉
修学旅行を直前にした生徒さんたちは、地元・岐阜市の戦争の歴史を聞くのは初めて。
焼夷弾(しょういだん)の説明のあとには、実物の弾筒を生徒さんにまわします。みんな興味深そうに、手に
取っていました。
朗読担当の浅井さんには、空襲体験の朗読に加えて、「空襲後」とまた「戦争が終わった直後の中学生の意見」
を読み上げてもらいました。
戦争に負けたことに困惑しながらも、新しい民主主義の世の中に希望を持ち始めた当時の中学生たちの声に、
今の中学生さんたちは熱心に耳をかたむけていました。
戦争の結果を、圧巻の朗読で聞いてもらいました。
3月18日、長森東小学校で平和講座を行いました。
この講座では、元メーテレアナウンサーの浅井彰子さんが、
戦後世代の女性3人による、初めての講座です。
プログラムは
1.岐阜空襲の時代を説明(平和資料室の資料と年表を使って)
2.戦時の子どもたちの生活
(当時の中学生イラストボードと背比べや、モンペ&
3.岐阜空襲の解説(米軍側の資料から)
4.『芽ぶけミヤコよ』の朗読(岐阜市民の空襲体験)
5.まとめ
2.で「戦時の子ども」を児童参加で疑似体験してもらった後、
ロシア侵攻のニュースが流れるためか、児童さんの関心は高く、
篠崎は戦争体験者として、
ケーブルTVも取材にみえ、
※最後は、生徒さんから嬉しい御礼のあいさつをいただきました。
「自分にできる平和活動とは」−創価学会岐阜女性平和委員会が平和講演会
2月27日、創価学会岐阜女性平和委員会の主催による、「平和の文化講演会」(岐阜文化会館)に講師を依頼され、
中島学芸員と篠崎が参加しました。会場には約70名、新型コロナのまんえん防止期間中ということもあり、オンラインで全県で
500名の女性のみなさんが参加されたということです。
前半は篠崎が、ウクライナ情勢にも触れながら、78年前の岐阜空襲について、後半は中島が「当時を生きた女性たち」について
話しました。
なぜ「家族を守る主婦たちが、戦争に協力することになったのか?」を、当時の女学校の教科書や婦人雑誌の資料から解説しました。
女性には参政権がないなどの無権利状況で、社会に出る機会が「戦争を支援する婦人会活動」のみ許された事情から、女性も
積極的に加わり戦争賛美の世相が広まっていった事情に、参加の女性たちも驚いていました。また地位の低さゆえに時代や軍部に
翻弄されたことに怒りの声も上がりました。 終わって質問・交流の時間には、次々手が上がり、誠実に平和問題に取り組んでおられる
女性平和委員会の活気をを感じる、充実した時間になりました。 感想文をたくさんいただきましたが、ほんの一部を紹介します。
*---”自分にできる平和活動とは?”それを常に考え、平和への意識を大きく、自らが縁する人びと友情を深めル対話をしていきます。
「戦争はいけないこと」と誰もが分かっていても、なぜなのか。それはどういうことから始まるのか。
そういった点は、人間ひとりひとりの心の中にあると感じるので、平和を拡げていくのは私!とまず決意しました。できることから始めていきます。(40才台)
*---「教育」の大切さ今一度心にとめ、母達の力で、次世代へ平和のバトンを繋いでいこうと静かに心に決める時間となりました。---(40才代)
*---岐阜空襲の具体的なお話を聞くことができ、今知っている岐阜の町が、爆撃によってこんな姿だったっことがあるんだと襲撃を受けました。
先生がおっしゃったように、学校などで小さいころからしっかり伝えていくべきだと思います。
また、女性という角度から、戦争を知ることができたことも本当によかったです。今とは比べものにならない権利のなさや、社会進出への渇仰を
逆に利用されていた悲惨な事実をを知ることができ、戦争への理解がもう一歩進めることができました。ここで学んだことを、自分の周りに伝えて
いくことが平和への第一歩となるt思うので、がんばっていきたいと思います。(40才代)
* ---戦時下の女性達のお話は、始めて聞く内容がほとんどで、女性の権利の低さに驚くとともに、腹立たしさも感じました。きっと辛い思いや
涙したい想いをこらえて、夫や子どもを戦地に送り出したと思います。女性たちがこんな思いをする世界を2度と繰り返してはいけない。
平和の心を広げる女性の連帯をされに強めていきたいと決意しました。(20才代)
* 先日のテレビニュースで、ロシアの国民の方々が多く集まられ、「戦争反対!」と叫ばれていると、声を上げる一人一人を、警官が捕まえ、
ひきずられていく姿を見て、いかりがこみあげました。
世界では、まだまだ権力におびえて生きて行かねばならない現実があると目の当たりにしました。先生のお話で、憲法が日本を平和へと向かわせるzi
きっかっけとなったと学び、やはり国や政治の大切さを深く感じ、また、微力ですが、家庭や地域から、平和、正義の心を語り、広げていくことで、
おこがましいですが、先生のなされている精神、運動を少しでも受け継いで参りたいと、今日決意しました。(40才代)
コロナにめげず、山県市で平和展開催
山県市では、昨年から市立図書館で、この時期に「平和学習」展を開催していますが、
今年は 1月28日(金)から始まりました。
「聖戦」など戦争を美化し、国民を総動員し、子どもたちから平和を奪い去った
戦争とはどういうものだったのかを問題意識に、当時の子どもたちの意識やくらしに焦点を置き、
3部屋を使っています。見やすいパネル、疎開児童の作った「いろはかる」たなど貴重な
実物資料も観られ優れた展示になっています。
岐阜市及び当会も協力しました。
1月28(金)〜2月18日(土)9:00〜16:00
休館日 1月31日(月) 2月7日 2月17日
<2021年>
< コロナ禍でも、岐阜市平和資料室にようこそ!2021 >
元気な子どもたちの平和講座(加納西小学校)
12月5日、加納西小学校の生徒さんたちが、歩いて平和資料室に来てくれました。コロナの規制が緩和され、入場者数が
クラス単位でもよくなった最初の見学者です。
戦争のころの子どもの生活道具やおもちゃを見たり、ちいちゃんのスタイルをしたり、元気いっぱいで勉強していきました。
当日は岐阜市担当課からも二人の職員さんが参加され、同校の先輩でもある五島さんより歓迎のあいさつもいただけました。
子どもたちは自由見学タイムでも熱心にメモを取ったり、タブレットで資料を撮影したり。
終了時間には「もっと見たい〜〜!!」と言いながら帰っていきました。
ここ平和資料室は、毎月最終火曜日のみお休みで、他は朝9時から夜9時まで開いています。いつでも見に来てくださいね!
(右)戦時の子どもの茶わんを見てもらっています。絵柄だけでなく、その小ささにも子どもたちはビックリ。
(左)時間待ちのクラスのために、クラフト室に子ども向けパネルを並べて見てもらいました。
東京より動画撮影のため来訪
12月4日、東京より映画監督の松村克弥さんと、その妹さんで東京都議会議員の上田玲子さんが岐阜市を訪れました。
お二人の亡父さんは大戦時、各務原の軍需工場に学徒動員され、各務原と岐阜市と、二つの空襲を経験されたそうです。
平和資料室では、二人のご家族も合わせて5人が、空襲後の遺物などを熱心に見学されました。
市街では美江寺公園と美江寺観音の戦災樹木や石塔、、そして新庁舎の「平和の鐘」を訪れました。
美江寺公園のベンチでは、戦時の体験と平和への取り組みについて上田さんと篠崎先生が語り合い、松村監督が記録として撮影していきました。
(中島:記)
岐阜市の戦時と今を見学に。〈本巣市・根尾中学校〉
6月に平和講座に行った本巣市の根尾中学から、今度は岐阜市まで見学に来てくれました。
秋晴れの10月14日、1年生の生徒さん達が、美江寺公園→ 美江寺観音→ 岐阜市庁舎「平和の鐘」を歩いてまわりました。
美江寺公園では岐阜空襲で被災したイチョウの木を見学。
「空襲の炎で焼けて、内部が空洞になっています。人間で言えば身障者です。でも翌年から芽が吹き出し、今も緑がしげっています。このたくましさを私たちも見習いたいものです」
篠崎先生の説明を、生徒さんたちは熱心にメモしていました。
美江寺観音では、空襲から救出された当時国宝の本尊のお話を聞き、岐阜市新庁舎の『平和の鐘』に移動。
眺めもよく気持ちのよい場所で、岐阜市役所職員の五島さん、林さんから説明を受けました。
最後は17階の展望ルーム。遠くの町まで見わたして生徒さんたちは大喜び。
岐阜市の戦時と今を見学できた1日でした。
※この見学のもようは、NHK夕方のニュースでも報道されました。
根尾中学の生徒さんから、お礼のメッセージがをいただきました。
発刊から36年の『芽ぶけ ミヤコよ』が、活躍しています
当会が1985年、東京法令出版から発行した、岐阜空襲を子どもたちに伝える絵本『芽ぶけミヤコよ』が、
この夏話題を提供しています。
@岐阜市平和資料室の今年の企画展は、『芽ぶけ ミヤコよ』の第一話に、その後入手した資料などを付け加えて、
「街も家族も焼けてしまった」としました。早速茜部小2年生の、早野天翔くん・
お母さんが、夏休みの「一研究」
子どもさんにも分かりやすい展示になっています。
*コロナ禍で、9月12日以降も、 現段階では30日までまで、休館が続きます。→10月から開いています。おいでください。
A 8月11.12日の『中日新聞』は、「岐阜近郊」版の半ページを割いて、「絶版となった今も、戦争を知らない世代に
読み継がれている」と、『芽ぶけ ミヤコよ』の文担当の篠崎、絵担当の久保田さんを紹介してくれました。
B今年初めて岐阜県図書館では、当会制作の岐阜空襲関係パネルを岐阜県保健医療科を通じて、
「ぎふ平和の祈り」展として、企画展示室U(2階)で行っています。この会場でも関連図書とし
て『芽ぶけ ミヤコよ』が展示してあります。8月15日まで。
C 揖斐川町館では、7月24日から「戦争と。ふるさとの暮らし」展を歴史民俗資料で約300点の資料を展示しています。
都市部ではなかなか見られない貴重な資料や、新聞記事で現在とつなげるなど見応えのあるものでした。
そこで「芽ぶけミヤコよ」のビデオを上映されていただいていますが、小谷館長様から大好評との礼状をいただきました。
また、当会の『戦争のころの子どもたち』をご購入いただき、「子ども向けの本の出版待っていたところです。」と喜んで
いただきました。8月22日まで。
「てにておラジオ」放送の集録が行われました
岐阜空襲を記録する会は、「子どもたちに伝える平和のための資料展」の開催中の
メディアコスモスで7月11日、てにてにラジオの収録に参加しました。
「次世代に語り伝える岐阜空襲」の番組で、もとNHKの津田正夫さんが聞き手で、
篠崎は「記録する会」のこれまでの活動やその成果、中島は子どもたちに伝えるための
手立てやその反応などなどを語りました。
主催者の浅井さんには、当時のもんぺ・防空頭巾スタイルになっていただきました。
来場者の賑わう中でしたが、落ち着いた雰囲気で進められました。
2021年 コロナ禍でも 催していただけました!<学校&市民の平和講座>
みんなで体験する、戦争の時の子どもたち〈鏡島小学校〉
10月5日、鏡島小学校に行ってきました。3年生3クラス。中島と林が担当。
鏡島小の3年生は毎年バスで平和資料室に来てくれるのですが、コロナの事情もあって今年は学校の広い体育館で行いました。
資料室で展示している『戦争のころの子どものおもちゃ』などは、映像で見てもらいました。
焼夷弾(しょういだん)の実物をまわして触ったり、モンペと防空頭巾を着てみたり…いろいろな体験を取り入れて『戦争と岐阜空襲(ぎふくうしゅう)』のお話を聞いてもらいました。
さいごに空襲体験(くうしゅうたいけん)の絵本『芽ぶけミヤコよ』を朗読した時には、みんな静まりかえって聞いていました。
「戦争はぜったいに起こさないようにしたいです!」
と子どもたちは感想を話してくれました。
★『戦争の時の中学1年生と背くらべ』に、みんな並んで体験してくれました。
写真中央、講師の林さんの後ろ姿に半分かくれてますが、戦時の男の子のイラストボードがあります。当時の中学1年の平均身長の高さです。
もう同じくらいの高さの子もいますね。戦争のころは「すごく小さいね!」とみんなびっくり!
・6月4日 三輪中学 非常事態の生活に質問がいっぱい!
2年生4クラスのへ話講座。中島と林智子とで行いました。15分の質問タイムには生徒さんたちの
質問が次々と。以下にその一部を紹介します。
「中学校で戦争の訓練をして、けがはなかったのですか・」
⇒死を覚悟して戦場に行くのですから、けがはあたりまえでしょう。でもしないよう、また手当法を指導されました。
「空襲でヤケドした人が多かったとき、病院に今のコロナみたいに断られたりしたのですか?」
⇒断ることは無かったそうです。でも順番待ちが長く、薬も不足して十分な治療は受けられなかった。
ようです。市民病院は、廊下まで死傷者が寝かされていたそうです。
「警報が鳴って、空襲が始まるまでどのくらいかかりましたか?」
⇒逃げる時間ということですね。岐阜では、水道山の監視所から肉眼で目視して、「大垣上空に
敵機発見」を知らせました。それが県庁に届いて警報が鳴りますが、鳴ってから数分もたたない
うちに、岐阜駅周辺に焼夷弾が落とされたと聞いています。
今のコロナ禍ノ影響でしょうか、非常事態にどのように生き抜くか?生徒さんたちは真剣に考えていました。
6月15日 根尾中学 全校生徒さんが聞いてくれました
全校生徒18人の中学校です。
岐阜市だけでなく、各務原、大垣など県下の空襲の話をして、焼夷弾の実物をまわしてみてもらいました。
岐阜市内では気温が30度を超していましたが、ここではではウグイスが鳴く別世界でした。プールも運動場も
校舎の普通のの中学と変わらないめぐまれた環境はうらやましく思いました。そんな穏やかな学校での、悲惨な戦争の
話でした。近くて遠い街の空襲の話、しっかり聞いてくれました。
7月23日 ささゆり福祉会『芽ぶけミヤコよ』の最新版を朗読しました
ささゆりケアホームと近所の方たちが集まる@平和講座です。
今年は、36年前に空襲体験者たちの声を集めて絵本『芽ぶけミヤコよ』を、「今の子どもたちに分かりやすく」と
改変し、資料パネルをつくり平和資料室に展示していますました。その最新版の内容をスクリーンに映し朗読しました。
高齢の戦争体験者さんも参加され、当時の悲惨な体験もうかがえる貴重な時間になりました
8月6日 おもと会「戦争体験を語り継ぐ夕べ」 今年は市長さんの応援メッセージも!
福祉ボランティアさんが集まる「おもと会」が主催する、戦争体験者のお話を聞く会です。
今年もメディアコスモスで、若い人たちも参加して行われました。当会もお招きに預かり、
まとめの話をさせていただきました。
今年は、岐阜空襲を間近で体験された当時国民学校5年生だった加藤喜子さんの鏡島の土手に逃げた体験と、
中学2年生だった澤木長俊さんは忠節橋のあたりは地獄絵を見たようだったと話されました。
毎年報告してくれる岡部和男さんは、今年は「岐阜空襲の被害が他都市と比べてひどかった理由」
を調べて解説してくれました。中学生で「防空法」まで踏み込んだ見識はさすがです。
高齢な方の体験だけでなく、中学生、高校生、大学生の発言や、ハーモニカ演奏や独唱など
多様な方法で戦争と平和を考える手法に毎回教えられますし、戦後75年の今も体験を語る会を
開催され、大勢の人たちをお集められるご苦労に感謝します。
7月9日は「平和の鐘」、市中に鐘の音が---
−市役所新庁舎に「平和の鐘」を 新設−
市役所新庁舎建設にあたり、岐阜市では四階「みどりの丘」に、「平和の鐘」を常設、
今年から岐阜空襲の日7月9日の追悼式典この場所で行われなわれました。
式典には柴橋正直市長、松久宗心仏教会会長、鐘の費用を負担された十六銀行さん、
鐘を製作されたなべやさん、中央中学の生徒さん、岐阜空襲を記録する会
からも参加し、雨の切れ目、初めての会場「みどりの丘」で行われました。
どの方の発言からも、戦争の悲惨さを繰り返さないようにと、76年経ても変わらぬ
強い平和の願いがと決意が語られました。平和宣言都市岐阜市の想いを新たにしました。
76年経過しても忘れてはならない日としてこの行事が続けられることにあわせて、
「平和の鐘」常設に市長さん及び関係者のみなさまに感謝と敬意を表します。一階ロビーでも式典を中継で見ることができました
この日は、市内のお寺、教会などでも午前9時から、市民も参加して、市中に厳粛な鐘の音が響きました。
平和の鐘(市庁舎四階)
岐阜市に投下させた焼夷弾を説明しました
岐阜新聞 7月10日
中日新聞 7月10日
山県市で初めての平和資料展に協力しました
(上)集束焼夷弾・実物大模型と巨大パネルが迫力満点!
(中)岐阜市平和資料室の貴重な資料たちが山県市で初公開
(右)ラストのコーナーには、平和資料室の<祈りの折り鶴>も掲げられました。
年明けの令和3年1月に、岐阜市の北どなりの山県市歴史民俗資料館で、初めて戦争と平和をテーマにした資料展『平和学習展』が開催されました。< 1月7日〜28 日>
岐阜の平和資料室には、前年より山県市からの丁重なご依頼を受け、資料の数々をお貸しすることになりました。
空襲のパネルや焼夷弾資料はこれまで多くの自治体にお貸ししてきましたが、実物資料をお貸しするのは初めてです。綿密な打ち合わせと安全確認の上、梱包や配送を行いました。
『平和学習』展は山県市歴史資料館の広い会場で行われ、幅広い世代の市民が訪れてたいへん好評だったとのこと。次年度にも開催を検討したいとのご希望でした。
2021年 行ってきました!<学校&市民の平和講座>
市橋小学校:講座はうれしい質問攻め!
3月4日、久々の小学校からのご依頼で、市橋小学校で平和講座を行いました。
この時期は篠崎先生が事情で出られず、私・中島と林智子さんの二人でお話しました。
岐阜空(くう)襲(しゆう)を伝える絵本『芽ぶけミヤコよ』のお話を朗読し、その後「岐阜空襲」を解説。
実物の焼(しよう)夷(い)弾(だん)の筒(つつ)も子どもたちに回して手にしてもらいました。
「戦争の時の学校と子どもたち」のお話では興味しんしんで聞いてもらいました。
「戦時の女の子のコスプレ体験」にも、終わった後の質問タイムにも、6年生の児童さんからいっぱいの手が上がりました。
「何か楽しみはなかったの?」「戦争がイヤだった子はどうしたの?」
講師は戦争体験はない二人でしたが、そのころの子どもたちの気持ちになって、精いっぱい答えさせていただきました。(レポ:中島裕子)
加納中学:学校講座も、好奇心でいっぱい!
3月18日、加納中学で平和講座を行いました。
加納中学は岐阜駅の平和資料室から近いため、近年はクラスごとに歩いて見学に来てもらっていました。でもコロナ対策の人数制限のため今年はあきらめて、学校の広い講堂で2学生全員の講座となりました。
実物の焼(しよう)夷(い)弾(だん)の筒(つつ)を生徒さんに回しながら『岐阜空(くう)襲(しゆう)』を解説。
当時の中学生の「平均身長のイラストボードと背比べ」や「女学生のコスプレ」をおりまぜて『戦時の中学生の学校生活』をお話ししました。
終了後はやっぱり質問がいっぱい!
「女性の兵士はいなかったのですか?」
「空襲の後、病院は今のコロナみたいに入院できない人もいたのですか?」
「B29は、いつごろまで使われたのですか?」
などマニアックな質問まで!
戦争の時代の地元の歴史に興味を持ってもらえました。これから日本中の、また世界の事情まで学んでもらえると嬉しいです。
リンク→ 岐阜空襲を記録する会〜20年